ブラタモリ「彦根」編

  • 2017.12.11 Monday
  • 11:55

JUGEMテーマ:日々のくらし

 

先日のブラタモリは「なぜ家康は”彦根がイイ”と思った?」がテーマでした。

私も10年ほど前に娘と琵琶湖の東側を旅したときに、彦根城にも行きました。ひこにゃんがいたかどうか忘れましたが、ここ彦根では井伊家の人気がすごいことをとあらためて知りました。

その頃そんなに興味がなかった私は、安政の大獄の井伊直弼のことが一番印象だったので、そんなによい印象ではありませんでした。

(以下の写真は12月9日7時半からのNHKブラタモリ番組内の映像より)

 

大河ドラマにもあるように、弱小の国衆にすぎなかった井伊家が実力で徳川の懐刀になっていきました。

また、彦根城を見学して、井伊直弼も授業で習った人物像とはずいぶん違うなあと思ったことを思い出しました。

 

近くに石田三成が治めた佐和山城があります。ここには織田信長が丹羽長秀に治めさせ、豊臣秀吉の時には、石田三成が治め、徳川になってからは、井伊直孝に任せました。というように、天下をめざすものにとって、この地は絶対押さえておきたい場所だったのです。

この地図を見ても、交通の要衝であったことがよく分かります。

 

また、この城の石垣は二段式になっていて、一段目の石垣の上には結構広い道になっています。

この説明の時、案内人が「軽トラックが離合できるぐらいの広さがあります。」とご説明になると、すかさずタモリさんが案内人の「離合」という言葉に反応されました。

というのも、どうやらこの言葉「すれ違い」の方言だそうです。タモリさんやこの案内人の方の出身の福岡や山口で使われているそうです。案内人さんは方言と認識していらっしゃらないため、少々びっくりされていた様子でした。

 

話を戻して、この石段の上の道にたくさんの兵を配置できたので、これも鉄壁の守りのひとつになりました。

そしてここを上っていくと、四方八方から攻撃できる袋小路になっています。

上の石垣と石垣をつなぐような橋の部分は、実は※切通しになっていたのです。敵の動きによってはこの橋をボンと落とすこともできたのです。

※山や丘を切り開いて通した道のこと

 

いよいよ天守閣です。400年ほど前の建物で、現存する天守は12の中のひとつであり、国宝にも指定されています。

国宝に指定されているのは最近認定された松江城を含めて5つあります。

小さいけれど優美ですね!

しかしこの美しい※破風にも実は少し出っ張った秘密の隠し部屋があり、多くの狭間が造られていて、そこから鉄砲で攻撃もできました。そのうえ、これらの破風はふさがれていて、いざというときに破って使うようになっていたそうです。

※破風ー切妻造や入母屋造の屋根 の妻の三角形の部分

 

天守閣からの景色も美しく、東には佐和山、その奥には鈴鹿山脈、西には琵琶湖があり、鈴鹿山脈と琵琶湖の間の狭い場所にこのお城が建っているのです。これは最高の立地で、人や物はここを通らざるを得ない交通の要衝なんです。

また北には大きな池(松原内湖)があったそうです。東京ドーム15個分の大きさだったそうで、明治初期の地図にもそのように載っていました。

これも大きな防御を果たしてくれました。またこの湖は琵琶湖とお城にもつながっていて、物を運ぶのにも便利でした。

 

南には芹川という真っ直ぐな川があります。これは築城の際に、流路を真っ直ぐにしたからで、これによって広い土地が生まれ、米の生産高も多くなりました。16C末の頃の石高は、1、陸奥国 2、近江国 3、武蔵国 でした。

ますますこの地が重要な場所であることが分かりますね。

 

町に移動すると、足軽長屋が今も残っていました。足軽といえば武士の中では下位の立場ですので、普通は粗末な長屋に住んでいました。しかし、近江では50坪ほどの立派な一軒家が彼らの住居でした。

なぜこんなに特別待遇を受けていたのかというと、京都の天皇に何かあったら駆けつけなければいけないため、常に軍勢を維持しなければいけなかったそうです。そこで徳川は鉄砲隊を担っていた足軽を優遇したそうです。

 

この足軽の方たちの住まいであった一軒に、「売り物物件」という張り紙がしてありました。またその下に、「お気軽にお電話下さい。」とも。

ここでタモリさんが、「足軽の家にお気軽に・・・」と云ったので、全員で大爆笑となりました。

 

最後に元庄屋をされていたおうちに行きました。

この辺では取り扱う米の量が多く、当時の庄屋さんがもう止めさせてくださいという嘆願書を出していたそうです。これは認められなかったそうですが、それだけ豊かな米が採れたという証拠ですね。凄ーい!

 

また、この地には仏壇屋さんが多いそうです。これはもともと鎧や兜の職人さんが多く住んでいたためで、平和な時代を迎え、その技を生かせるのがこの仏壇づくりだったのです。

余談ですが、最近日本近辺も、西アジアも、ヨーロッパもどこもきな臭いですね。やっぱり「平和」がイチバンです!

 

今回は地質の話が少なかったのでタモリさんは物足りなかったかもしれませんね。

私はとても興味深かったですグー

 

次回は23日に東京の吉祥寺について放送があるそうです。今月最後かもしれませんね。

ほなバイバイ

 

 

 

 

 

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

プロフィール

profilephoto
60歳代 細々とマナー講師をしていましたが、思い残すことなく、講師活動に終止符を打ちました。 お仕事の投稿は出来なくなりましたが、カラ―アナリストもしていましたので、街で出会ったおしゃれな人や、間違いだらけのカラ―コーディネートファッションのご紹介、歴史や面白かった本のご紹介などもしていきたいと思っています。

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM